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私の世界が変わった日

それは、2010年7月29日。きっと、この日を私は生涯忘れない

その日を遡る事、2週間前骨髄穿刺(マルク)を受けた。
7月14日初めて、その地域では大きな病院を受診した。

3月あたりから、微熱が続いていたからだ。その前の年からどうも、微熱が続くことが多かった。しかし、たいした熱でもないし、色々な事がりきっと疲れているのだろう・・・と思っていた。
義父から、どうしてもと進められ病院へ行く事にした。

その日の総合内科(まずは、ここにかかるらしかった)の担当医は、教授で若い医師が隣に座っていた。
本当に、ひどい内容の診察でとてもここには書けないが失礼なモノイイをする人間だった。

『やっぱり、来るんじゃなかったな』と、思いつつ
熱を測ると《36.9度》だった。

『36.9度は、熱ですかぁ~』と、さも馬鹿にしたように教授は私を覗きこんで薄笑いを浮かべていた。
《この程度の熱如きで、病院にくるんじゃない!》といった風だった。

他のクリニックでの、血液検査の伝票をみせたが、
『全然、問題ない、関係ない項目だ』と、取り合ってもくれなかった。

しかたなく、精密な血液検査をし帰宅。
こんな嫌な思いをしたのは初めてだ、とイライラしていたら熱が出てきた。

横になり、うつらうつらしていると電話が鳴る。やっと起きて出ると、隣にいた若い医師からだった。
『コトノハさんですか?今、血液検査の結果が出て・・・』
あきらかに、あわて動揺している様子の医師は、こう続けた
『数値が異常なんです。特に血小板の数値が・・・なので、出来るだけ早く精密検査に来てください』
と、息を荒げ話した。

教授に前回の検査結果も、結構ひっかかっていた事を告げたはずだ、と言うと『いや、僕は知らなかったんです。教授はみてたんですか?』と、なすり付け合いだ。

そして、翌日骨髄穿刺(マルク)を受けた。痛みはなんとか我慢するが、気持ち悪い。

そして、2週間後がやってきた。

なぜか、その日は診察室の前でかなり待たされた。

『もしかしたら・・・何かみつかったのかも・・・』
と、思ったがその選択肢の中に【白血病】という文字は無かった。

やっと、呼ばれ血液内科の医師は、しばらく資料や伝票をみながら

【慢性骨髄性白血病です】

と、いいながら紙の裏に【CML】と大きく書いた。

主人も、私も言葉無く、天を仰いだ。

『詳しい事は、おいおい話しますが・・・ネット環境があればしらべてみてください』と、だけ告げ
検査の結果をプリントしたものを渡された。

『まあ、今はいい薬もありますし。・・・この状況で見つかるのは、めったにないことです。少し高い薬ですが、この薬さえ飲んでいれば大丈夫ですよ。』

『それは、ラッキーだった、ということなんですか?』

『まあ・・・そういえば、そうともいえますかね・・・。10年、20年前なら、即入院、即移植でしか助からなかった訳ですから』

『そうですか』
と、言うのが精一杯だった。

その時の私には、それは【死刑宣告】にしか、すぎなかった。

【あと、私は何年生きられるんだろう。やっておかなく

ちゃいけないことがまだまだあるのにな・・・】

病院からでると、緑がむせ返るようにあおく湿気を帯びていた。

さっき、来るときに観た景色と同じなのに、全くそこは別の世界だった。

あと、どれくらい?私の人生は、残されているんだろう?

そういうことも出来ず、主人も黙り込んでいた。
なにしろ、相手のことは何もきかされてはいないし、これからの闘いのことまで考える余裕も無かった。

あの日から、26日。

そして、考えていたよりずっと、その副作用は壮絶だった。

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